たびそらー旅碧空ーStory | 「心と体にやさしい」ワンランク上の手織りオーガニックアジアンシルク製品をお求めならCOW30.COMへ

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そらたび-STORY-

幼少時代

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長野県上田市に生まれ育ち、田畑に囲まれた田舎で育った私は、海外とは全く無縁の世界で生きてきた幼少時代でした。
でもひとつだけ、子ども時代のわたしと、世界をつなぐものがありました。それは毎日学校の給食で出される「牛乳」でした。
当時、通っていた地元の学校で出される牛乳は、今は懐かし三角紙パックに入った牛乳だったのですが、そこになにげなく印刷されていた様々な国の世界遺産を見て、妙にワクワクしていた私。ひたすら牛乳パックを眺めながら海外への憧れを膨らませる毎日でした。

死と向き合う

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中学、高校と平凡な日々を過ごしていた私。そして進路選択の時期がやってきました。ですが、自分の中での将来の夢は既に決まっていました。それは、「教師」という仕事。中学時代に、大好きな英語の先生に出会い、先生が大好きだから、好きになった英語。「自分も英語っておもしろいんだなぁ、、と生徒に思ってもらえるように、教えてみたい。」生徒が将来の夢をみられるような、種をまける人間になりたいなぁ。と心から思っていました。

授業中は、一番前の席でも平気で寝ているという、とても教師になりたいと思っている人間のやることではない高校時代を過ごし、テスト前は決まって、まじめに授業をうけている友人のところへ行っては、ノートをコピーし、ひたすら丸暗記。なんとかテストに間に合わせ、卑しくもソコソコの成績をとっていた私は、推薦入学という甘い汁を吸って、大学進学を早くも決めていました。
のほほーんと残りの高校生活を過ごしていた年末年始休み。1年最後の日。12月31日にそれは起こりました。

子どもの頃から慕っていた従兄が突然亡くなったのです。年が離れた姉を持つ私は、家も隣ということもあり、その1歳しか変わらない従兄が兄弟のような存在でした。警察から連絡を受け、もう現実に何がおこっているのか訳もわからず、「お兄ちゃん死んじゃったよ、、死んじゃったよ・・・」と泣きじゃくる従妹の手を引いて、病院へ。交通事故でした。病院の廊下でへたり込む叔父と叔母をみて、もうかける言葉も見つかりませんでした。その時は突然すぎて、涙すら出ませでした。

その時から「死」という言葉を使うことが急に恐ろしくなりました。周りの友達が、「もう、死にそうだよ〜、」とか、友達に「死ね、バーカ!」とふざけあう、学生によくありがちな何気ない会話を耳にするたびに、憤りを感じてしまう自分。
そんなに、簡単に「死ぬとか言うなよ、」という思い。

人間て何気なく明日は当たり前にくるなんて思っているけれど、明日なんて生きているかどうかすら分からない。
毎日精一杯生きないと。後悔しないようにしないと。従兄のぶんまで頑張って生きないと!

そう誓った高校3年の冬でした。


未来の世界へ

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大学へ進学し、意気揚々と田舎から上京した私に待っていたのは、未知の世界を生きてきた友人たちでした。
何故か、飛行機すら乗ったことのない田舎者の私が、帰国子女ばかりが集まるクラスへ。
「お父さんの仕事の都合で、ずっとアメリカで生活していたんだぁ。」
「お母さんはイギリス人で、どちらの国籍にしようか悩んでいるだけど・・。」
「夏にはヨーロッパにいる友達のところに遊びに行くんだぁ。」
等々、、、。
牛乳パックでしか海外を感じたことのない自分には、ありえない話が飛び交っていました。
「ダメだぁ・・・、この輪の中に入っていかれない。」しかも、オールイングリッシュの授業に全くついていかれず、あんなに大好きだった英語が、その当時は苦痛以外の何物でもないものに変わってしまいました。慣れない東京での生活も重なり、とにかくストレスが溜まる日々。
でもそんな思いを払拭させてくれたのは、塾の講師というアルバイトの仕事でした。
生徒が「わかった〜!」とうれしそうに笑顔で英語の勉強をしている姿を見るにつけ、「英語ってやっぱり教えるの楽しい!」と将来の夢を描いた当初の思いが蘇ってきました。
「やっぱり教師になろう」

初めて海外ひとり旅

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大学卒業を目前にし、「一人で海外に行ってみたい」という気持ちがわいてきました。以前にツアーで姉といったアメリカ、カナダもよかったのですが、全てお膳立てされたものではない旅に憧れていました。
教師を目指していた私は、どうせ行くなら海外の学校を見てみたいと、地元の隣村でネパールの学校支援をしている団体があったため、事情を説明し、紹介をしてもらうことに。
「それにしても、いくら行き当たりばったりだからって心配だから、とにかく1泊目のホテルは、知り合いのところ紹介してあげるから・・・。」親切な事務局の方のご厚意で、とりあえず1日目の宿を確保。
世界地図をみていると、「おぉ〜、ネパールの隣はインドかぁ。」なかなか行けるところじゃないし、ついでにインドにも行ってみるかぁ!勢いで来てしまったものの、冗談ではすまされない異世界が広がっていました。バスの屋根に乗り、しかも隣に座って!?いるのは、これから市場で売られるニワトリ。永遠とも思われるニワトリとのバスの長旅の末、電気がおととい通ったという、ものすごい山奥の学校で時を過ごし、インドでは貧乏学生だった私の財布事情を案じたバスの運ちゃんのふとどきなアドバイスにより、チベット人になりすまし入館料をチョロまかしてタージマハルを拝む。あり得ない旅を終えて帰ってきたわたしは、(詳しくは、世界一周ひとり旅ブログへ)無限大のエネルギーを得たような気持になり、とうとう憧れの職場である学校で働くことになったのです。

人の人生に携わる職業

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1年目に努めた学校でのポジション。それは、心に傷をおっている子どもたちの相談役。授業や、担任を持つ仕事に憧れていた私でしたが、今思うと本当に人生の勉強をさせていただいた現場一年目でした。「憧れ」だけではやっていかれない教師という仕事の難しさや、厳しさ。自分の無力さを散々思い知らされたのでした。そんな思いをリセットするために、年度末の3月にアメリカ人の同僚の先生から紹介してもらった孤児院施設を訪問するためにカンボジアへ。これが、まさか人生を左右する国になるとは、この時は思いもよりませんでした。

その後、長野県内の小中学校に勤務し、大変ながらも教えることの楽しさを満喫し、充実した毎日を過ごしていました。ですが、こうして日々教壇に立つことが当然のようになったときに、ふと感じたのです。

「こんな自分が人の人生に携わる価値のある人間なのか?」と。そもそも私が教師になりたいと思った理由も、中学生時代の英語の先生が人生の中で大きな出逢いであったからこそだと思った時に、とても怖くなってしまったのです。特にそんな人より優れた能力があるわけでもなく、ただ、「こんなヘボイ教師でも、わたしという人間出会ってよかったなぁ、、と思ってくれる生徒が一人でもいれば、それでいい。」と思って仕事をしてきただけの私には、この素晴らしくも、責任の重い仕事を続けていく「ぶれない軸」、「自信」が持てなかったのです。

別に深く考えることなく、普通に仕事を続けていれば、それはそれなりに楽しい毎日が待っていたのかもしれません。ですが自分の気持ちに嘘をついても、結局犠牲になるのは大切な生徒たち。そして自分自身。そう思ったときには、もう心は決まっていました。
卒業式に、転退職員として突然壇上に上がっている私を見て、当時担任していたクラスの子どもたちは、訳がわからない様子で泣いていました。「みんなごめん!!」心の中でそう叫んでいました。

世界一周ひとり旅へ

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退職し、少々燃え尽き症候群的な気持ちになっていたそんな時に、ふと心のなかに浮かんだのは、カンボジアの子どもたちでした。厳しい環境の中でも一生懸命に学ぼうとしているあの姿。
「そうだ、一生の中でこんなに時間があるときはない。海外の学校を見に行こう!帰ってきたときには、また違う気持ちで教育現場に戻れるかもしれない!!」
そして無謀にも、予定を立てない世界一周ひとり旅に出たのです。

訪問国1つ1つにそれぞれのドラマがあり、出逢いがあり、でも日本への恋しさと、ひとりで旅する孤独さを嫌というほど感じ、今まで知らなかった良くも悪くも、「自分」というものをとことん知った旅でした。

ヨーロッパ・アジア・オセアニア・北中南米を渡り歩き、5大陸の最後に選んだアフリカ大陸。30カ国目のケニアで、マサイ族との出逢いがありました。「へっ!?牛30頭が私へのエンゲージリング!?」村を出る最後の日のマサイ戦士からの思いがけない求婚。非日常が、日常と化していた私でしたが、さすがに衝撃を受けた出来事でした。ですが、この出来事が私の”初心+初志”を蘇らせてくれたのです。
「ここには残れない、私には、まだまだやらないことがたくさんある!」
そう確信したときに、帰国の決意をしました。そして日本に帰る前にもう一度どうしても行きたかった国。それがカンボジアでした。日本の教育現場に再起をかけて挑戦する前に、どうしてもあの子どもたちの輝く顔を目に焼き付けておきたかったのです。
2度目の訪問は、まるで家に帰ってきたかのような気持ちで、充実した1週間を過ごしました。そしてとうとう帰国。
世界一周を成し遂げたからといって、別に劇的に何かが変わるけではありません。ですが、確実に以前の旅の後とは違う感覚があったことを今でも覚えています。

心の葛藤

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ですが、本当のどん底はここからでした。
希望通り教育現場に復帰し、授業では勉強の内容もさることながら、自分の旅の話を本当に興味深く、楽しそうに聞いてくれる生徒たち。教師としてはこれ以上ない喜びでした。
ですが正直、人の一生の中で一度あるかどうかわからないような経験を幾つもしてきた旅の後では、何をしても物足りなく感じてしまう自分がいたのです。10年、あるいはそれ以上の年月をかけて経験するようなことを、たった1年ちょっとでやり遂げ、濃厚すぎるとも言える旅の日々がどんどん心の中で膨張していく。悶々と何か満足しきれない自分に、もどかしさを感じて過ごす日々が続きました。自分でも予想もしなかった思わぬ落とし穴。気が付くと、旅をしていた期間の何倍もの時間を、そんな気持ちで過ごしている自分がいたのです。

旅をしているときは、1日でも、1分でも早く日本に帰りたいと思っていた私。今は1分でも1秒でも早く、時間があれば海外の空気を吸いたい・・・。
「人間なんて、本当に無いものねだりの生き物だよなぁ、、。」

旅を終えてから、8年付き合っていた彼と結婚し、旦那になった彼は、そんな私の悶々とした気持ちを、口にはあまり出さないものの、痛いほど分かってくれていました。そんな旦那のやさしさに甘え、その後も一人でトルコや、ウズベキスタンなど、時間があればひとり旅をしていた自分。旅に出れば、自分が解放され、あの何とも言えない充実感に心が満たされる。心のエネルギーを満タンにして日本に帰る。
「やっぱり、私は外の国と関わることがしたいんだ。」
旅をし続ける期間が長くなればなるほど、その思いは強くなっていきました。

1ヶ月500円の店

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自分にしかできない、何か海外と関われること。
思いを巡らし、自分が世界の子どもたちと出会うことに喜びをおぼえていたことと同時に、いつしか自然と興味をもつようになっていた、その国・その土地にしかない、伝統的な手仕事。
自分が見たことも聞いたこともないようなものであっても、本当にすばらしいものが世界にはたくさんあることを知って大興奮していた私。
特に魅力を感じたのが「アジアンシルク」でした。群を抜くアジア人の手の器用さは、やはり半端ではないことを思い知らされました。
「私はその作り手である彼らと同じアジア人なんだ。」
そう思うだけでうれしくなりました。
そして、その中でも一番に感動を覚えたもの。一瞬で心を奪われたもの。それが、東南アジアのシルクの源である「カンボジアシルク」でした。
黄金色の繭糸から織りなされる、1日に3cmしか手織りができないという、本当に希少価値の高いそのシルクは、独特な色味と光沢、そして風合いすべてがゴールデンシルクと呼ぶにふさわしい、完成度の高いものでした。伝統的な匠の技と、ハイセンスなデザインを融合させたカンボジアシルク製品は、国の内戦で滅びかかった伝統工芸を復活させるべく、高い志と向上心をもった若者たちの「ものづくり」に対するひた向きさや、真摯な気持ちが伝わってくる、温かみのあるすばらしいものでした。

生まれ変わったカンボジアシルクは、見るものすべてを魅了する力を持っているように感じました。
こんなすばらしいものを、「日本の皆さんに知っていただけたらいいなぁ、、」と気軽に始めたのが、1ヶ月500円のウェブショップ。それが「絹花KINUHANA」でした。

挫折

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もともと、途上国の開発支援教育事業に力を注ぎたいと思って活動を続けていたわたしは、培ってきた人脈を通じて、販売事業の分野でもスタッフとして手伝ってくれないかと、国際規模の展示会に声がかかるようになりました。
そして、来日した現地の生産者の仲間たちと一緒に、日本で企業やショップを経営をなさっている皆さんに、アジアの手仕事製品を紹介させていただく機会をいただきました。
特にカンボジアシルクに魅力を感じていた私は、ぜひこのすばらしさを伝えたいと、たくさんの方たちにお話をさせていただきました。ですが、そこでぶちあたった壁。
それは、「カンボジア」という国に対するイメージでした。
「ものはすごくいいんだけれど、カンボジアって治安悪くて危ないでしょ?」

「やっぱり信頼できるところでないと・・・」
「お金を持ち逃げされた人もいるって聞いたし・・・。」
内戦、貧困、治安、そしてそこに生きる人たちに対する不信感、ビジネスを展開していく上での不安等々・・・。結局、一日に100枚以上の名刺交換をしても、その後につながるものは何もありませんでした。カンボジア人にしてみれば、「国外に出る」ということが、一生に一度できるかどうかの千載一遇のチャンス。みんなこの展示会に「自分の一生の全て」をかけて来日していました。この日のために、長い時間をかけて準備をし、それぞれの熱い思いをもって日本へやって来ていたことを痛いほどわかっていただけに、皆にうまい言葉もかけることもできず、「わたしも頑張るから!」としか言えない自分が本当に情けなく、ちっぽけな存在であることをまざまざと思い知らされたのでした。
「このままでは終われない、みんなのためにも頑張らないと。人が売らないなら、自分で売ればいい!!」

感謝

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その日を境に、非常勤講師として学校の仕事を続ける傍ら、夜は塾の講師をし、活動資金を稼ぎながら、あの日つらい思いをした仲間のためにもという一心で、海外にいる友人にも声をかけ、国を問わずカンボジアシルクを営業する日々が続きました。そして、地道な活動が実を結び始めた頃、私も一人の親になることになりました。
一度流産を経験したこともあり、妊娠がわかってからは、カンボジアの仲間たちも「仕事は二の次でいいから、とにかく体大事にしてね。」と本当に家族のように、私に子どもができたことを喜んでくれました。待望の子どもができた喜びと、身重な体で仕事も思うようにこなせない心うちの複雑さを感じながらも、息子をなんとか無事に出産してからは、「とりあえず今は、この子との時間を大切にしよう!」という気持ちでいっぱいでした。

ですが、当たり前のことながら、産育休の間は一日ずっと家にいるのですが、実はそれが自分にとって子育て以上にきついものであったのです。朝・昼・晩と1日中外でガツガツ働いていた人間が、いざ、ずっと家にいることになったときに、まるで自分だけが社会から孤立してしまったような気持ちになってしまったのです。
日々ものすごい成長を遂げる息子をみて、心底「すごいなぁ。」と思いつつ、そんな進化を続ける息子に無駄なライバル心を持ち、「いつか私だってやってやるぞぉ〜!」と言い聞かせる始末。
そんな中で、久々にパソコンのメールを開く気持ちになり、アカウントを開いてみると、自分の不安な思いを救ってくれたのは、カンボジアの仲間たちからのメールやお祝いの言葉でした。
「もう大丈夫。自分のすべきことは分かっている。」

架け橋

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一期一会。出逢いは宝。
このカンボジアの仲間たちとの出逢いがなければ、きっとわたしは「ただ世界中を旅行してきた人。」
で終わってしまっていたんだろうと思います。
もちろん、正直まだ不安になるときもあります。
仕事をしようとはりきり始めた途端に、泣き始めてしまう息子。
日中の子育てと仕事で疲れて爆睡している私を起こさないように、夜泣きをする息子に毎晩当たり前のようにミルクをくれてくれる旦那さま。
本当に申し訳ないと思いつつ、「ごめんねぇ、悪い妻で、母親で」と苦笑している私のとなりで、「やらなきゃどうせ後悔するんでしょ、っていうか、いつものことじゃん!」と笑い飛ばす彼。

初めて一人で、ネパール、インドへ行くと決意したときも、ものすごい心配しながらも応援してくれた父。それを尻目に、「万が一にも何かあったときは、ガンジス川にあんた流してもらうから、そのつもりでいてよっ〜!」と根性すわった肝っ玉母。そして、私以上に我が道を貫いて生きている姉。

こんな家族に支えられて私という人間は、生かされているんだなと、心から感謝しています。
仲間のため、家族のためと意気込むあまりに、からまわりをしてしまう時もありますが、最後はやっぱり自分。結局は、「自分が幸せで充実した日々が送れていなければ、周りの人たちを幸せにすることなんかできない」ということ。そんな基本的なことを今さらながら気付かせてくれたのは、息子だったような気がします。

私が楽しそうにしていると、彼も楽しそうに笑ってくれます。
私がつらそうな顔をすると、彼も悲しそうな顔をしているんです。

1才にも満たない息子の何気ない行動が、それを証明してくれているような気がします。
そんな自分が生き生きしている姿を見せることが、私流の家族への感謝を表す方法かな。と今は一人よがりにも、そう思っています。

自分に正直に生きる

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後先のことなど考えず、ガムシャラに走り続けた20代。そして30代。プライベートでは、家庭・子育てに大忙し。仕事では経験が増え、ある程度のポジションに身を置き、さらに飛躍。自分を含めた多くの皆さんが、30代という年代に人生のターニングポイントを感じているのではないでしょうか。ですが年齢を重ねるに連れて自分の意とは反対に、きっと色々なことをあきらめてしまっている方が、特に日本には多くいるように思えてならないのです。
世界を旅して、多くの人に出会って、たくさんの生き方を知って、そして気付きました。みんなそれぞれの思いや目標をもって、年齢関係なく向上心をもって学び続ける。でも、おもいっきり遊ぶことも忘れない。新しいことにも臆することなくチャレンジ!プライベートも仕事も必ず両立できるはず!!
その楽しさを人生で感じなければ絶対に損だということ。

COW30.COMも私にとっての新しい挑戦です。そして、このショップを媒体として、自分が旅先で人生を救われたように、今度は自分が本当にやりたかった方法で、途上国の子どもたちに少しでも夢が持てるようなお手伝いができたらと思います。そして世界の若者たちの熱い思いとともに、すばらしい手仕事と元気を日本の皆さんにお届けできるよう、そんな世界と日本の笑顔をつなぐ「架け橋的存在」になれたらうれしく思います。
そして、いつかバックパックのかわりに、今度は子どもを背負って世界を旅できるような「子連れバックパッカー」を実現できる日が来ることを楽しみに、今は頑張りたいと思います。

自分に正直に生きる

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最後に。
世界一周ひとり旅。そんなカッコいいものじゃないですよ。もうれつな孤独感。母国語が話せないというストレス。そして、何によりもつらかったのは、「認めたくない自分を発見してしまったときの挫折感」。毎日が戦いの日々でした。一日でも早く日本に帰りたいと何度も思いました。でもそんなときに「そら」を見上げると、どんな世界の果てにいても「この空-そら-は日本に続いているんだ」と思うだけで、心が少しだけ強くなれました。救われました。
だから、今度はじぶんの息子「碧空-そら-」に、私なりの方法で、恩返しをしようと思います。

あなたが生まれたこの年に、母さんは人生の新しい挑戦をしようと決めました。パソコンに向かうと泣き出す君をみて、正直、心が折れそうになる時もあるけれど。でも、私が私らしくあるために、そして高3の冬に「後悔しない生き方」を心に決めたから。あなたが出会うはずだった天国にいる伯父さんが、自分の命と引き換えに、母さんに教えてくれたんだよ。だから、申し訳ないけれど、どうしようもない母と笑って諦めてください(笑)。あなたが「ものごと」が少し分かるようになる年頃になったら、この「たびそら−旅碧空−Story」をみて、ほんのちょっとでも、私のしてきたこと、そして思いが伝わるとうれしいなぁ。と思います。

プライベートも仕事も充実させたいと願っておられながらも、日々忙しい毎日を過ごしていらっしゃる皆様を、この生まれ変わったCOW30.COMというショップを通じて、ぜひ応援させていただけたらと思っております。

そして、ただ商品を売るだけではなく、弊社製品の作り手であるアジアを始めとした世界の志高い、素晴らしい若者たちの思いを一緒に、日本のみなさんにお届けしたいという強い思いでおります。

その軌跡として、微力ではありますが、途上国の子どもたちや若者たちが自身の夢を持って、自立できるようなお手伝いができましたら、自分がたくさんの思いを抱えて世界一周をしてきたことも、決して無駄ではなかったと信じております。

作り手、支援先、そしてなによりも、彼らを支えて下さるお客様。COW30.COM、そして乾みゆ紀という人間に関わってくださった皆さま全員が幸せになっていただけるような、そんなショップ作りをしていきたいと思っております。

今後ともCOW30.COM【カウサーティー.ドットコム】を何卒よろしくお願い申し上げます。


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